変わらずに大切にされていくもの

なんとかスクールでは、基本的には子どもたち発信で活動が進んでいきます。ですので、毎日決まった何かをやらないといけないということはありません。状況によってはスタッフが提案することもありますが、それも全員参加することはほとんどありません。それも選択肢の内の一つとして、子どもたちの中に位置づけられます。

そんななんとかスクールで、唯一スタッフ発信であり全員参加が基本である活動があります。全ての活動が終わったあとに行うふりかえりのような時間です。なんとかスクールではチェックアウトと呼んでいます。ホテルに宿泊し、帰るときにフロントでおこなうチェックアウトが由来です。チェックアウト自体はなんとかスクールがオリジナルではないので、聞いたことがある人もいるかもしれません。

なんとかスクールで行うなんとかスクールバージョンのチェックアウトの目的は、活動の終わりに一人一回必ず、その日に感じていた気持ちを吐き出すことができる機会を設けることです。私はこの場で大切にされるべき一人であり、そしてあなたも同様に対等であり大切にされるべき一人であるということを形に表したような時間になることが理想です。そのような場ではこの場では私の気持ちを開いても大丈夫だ、という安心感が生まれます。そして、その安心感があるから一人ひとりが主体性をもって自分を発揮してくれることにつながっていくんだと思います。

そんな願いでチェックアウトは行われていますが、今日に至るまで様々な紆余曲折がありました。全く思っている雰囲気で行うことができないときや、チェックアウトの場が崩れてしまうときなんてよくありました。その度に、やることがいいのかやらないことがいいのかから考え、やるにしてもどのようにやればいいのかというのでも検討に検討を重ねました。ただ迷い悩んだときにスタッフで話し合うと、なんとかスクールや子どもたちのことを考えた結果、どうしてもチェックアウトというものは必要であると毎回結論づくのです。そして、出た結論を信じて明日もチェックアウトを行うのです。

 

ここからが本題ですが、このチェックアウトというものは元々ネイティブアメリカンの人たちが行っていたビーズの輪というもののようです。僕も最近この話を聞いたのですが、改良に改良を重ねた今なんとかスクールで行っているチェックアウトの形がすごくビーズの輪の話に似ているなと思いました。

もしかしたら昔の人も僕と同じように考えたのではないでしょうか。「どうしたらこのコミュニティが平和にいられるのか。」「どうしたらここに集う人が幸せでいることができるのか。」と、そんな思いを形にしたものがビーズの輪だったのではないでしょうか。ネイティブアメリカンの人たちが部族の存続と発展を考えたときに不必要なことなんてわざわざするとは思えません。

もしそんな思いから生まれたものであるならば、人の幸せや豊かさというものも一つの答えがあるように思えてきます。時を超えてなんとかスクールでも同じような取り組みをしているのですから。そんな想像を膨らませていくと、多様性と言われることが多い現代ですが、普遍的に変わらないこともあるような気もしてきます。そしてその普遍というのは、人が人らしくあるために忘れてはならないような何かではないのでしょうか。対等な関係でいることや思いを聞き合うということは、もしかしたら大切な何かのキーワードなのかもしれません。

もしかすると、今行っているなんとかスクールバージョンのチェックアウトは間違っていないんじゃないかと思えるような出来事でした。もちろん、ネイティブアメリカンの人たちがどんな思いからビーズの輪を行っていたのかなんて知るよしもありませんし、僕が頭の中で考えていることですので根拠なんてありません。ただ、ちょっとわくわくするというだけです。

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