なんとかスクールの特色

自分、あなた、社会の「ちょうどいいところ」を探す

 すべての子どもには健やかに育つ権利があり、すべての大人にはそれを保証する責任があると考えています。大切なのは一人ひとりに個性があり、健やかさや心地いい環境は同じではないということです。その子のちょうどいいとこはその子自身が体験を通して見つけるほかありません。
 なんとかスクールという名前には「何とかなるよ、大丈夫」というメッセージや、既存のどの教育機関にも当てはまらない様を表しています。周囲からの「こうならねばならない。」という圧力がなく、子どもたち一人ひとりの心が大切にされたとき、温かい支援の中で、子どもたちは自分自身を少しずつ知り、自然と自分の人生を子どもたちは歩みだすことができると信じています。ここで過ごせば人生なんとかなる、なんとかスクールです。

「わたしはわたしであっていいんだ」という感覚

なんとかスクールでは、他者と比較されたり評価されることも、誰かの期待や評価に応えなさいと強いられることもありません。子どもたちの素直な気持ちはそのまま受け入れられ、思いは尊重されます。ありのままを尊重され、素直な気持ちが出せる雰囲気の中で、子どもたちは対等に語り合い育ち合うことができます。

なんとかスクールで起きる様々なドラマから、自分の素直な気持ちに寄り添い、友達の思いを感じることを通して、自分を知り他者を知ります。そういった体験を沢山積むことによってのみ、自分自身は何に喜び、自分自身をどう使うのかが分かります。そして自分の心の形を徐々に理解することで、自分の生き方や人生と向き合い、社会と調和しながら前向きに生きていく力に変えていくのだと信じています。

体験の中で身につく本物の知恵

なんとかスクールには、決められたカリキュラム(時間割のようなもの)はありません。子どもたちが「やる」と決めたことをして過ごします。その日の天気、メンバー、気持ちに応じて活動内容は変わってきます。ですので、スタッフが何かをさせることはありません。何かをさせるということは、褒めたり叱ったり創意工夫を凝らして、操作的にならざるを得ません。子どもたちが主体的に活動していく中で起きる課題や困難は、子どもたちの中で解決する必然性があります。誰かにやらされたわけではなく、自分自身で決めたことだからです。だからこそ、主体的な活動の中で起きる本物の体験から得る本物の知恵は「実学」となり、その子の中に実感を伴ったものとして積み重ねられていきます。

人がいてルールがあります

なんとかスクールは、育ち合う関係の中で一緒につくっていく学校です。ルールが初めに存在して子どもたちがいるのではなく、必要であれば子どもたちの中からルールやきまりは生まれていきます。
大切なことは、その場にいる人たちが居心地が良いかということです。それは、メンバーやその時の状況によって姿を変えます。ですので、なんとかスクールではその瞬間に起きていることから、対話をしながらそこに存在している人のちょうどいいところを探します。

地域の中で育ちます

なんとかスクールがある高槻市の原は、地元の人たちが暮らしている自然豊かな場所です。地域の方の暮らしと密接して、子どもたちの活動も展開されていきます。お隣の畑のおばあさんのお手伝いをしたり、すれ違う人と挨拶を交わしたり、地域の方と良い関係で在ることもとても大切にしていることです。子どもたちにとっては、その体験は社会とのふれあいです。お手伝いをしてご褒美をもらうことなど、なんとかスクールでは体験できないようなことも体験しながらしながら、子どもたちは様々なことを感じ取っていきます。

また、何とかスクールの周辺は山や川の近くに存在します。簡単に自然の中に入れるので、近所の山や川は子どもたちの最高の遊び場となります。自然と触れ合うことを通して、子どもたちは癒され整っていくように感じます。

親もなんとかスクールの主体です

保護者同士、保護者とスタッフの関係性は、直接子どもの育ちに関係してきます。今の子どもたちにとってちょうどいい場にするためには、今いる保護者の声が大切です。
なんとかスクールは完成された場ではありません。「これまでがそうだったから。」ということにとらわれることなく、今のメンバーで対話を重ねて一緒につくっていきましょう。温かい雰囲気の中で、気持ちに寄り添った関係で在りたいと思っています。